疾患別(プライマリ・ケア医が診る感染症)

2024-09-03稀な感染症(顧みられない熱帯病(NTD))

顧みられない熱帯病(NTD)

熱帯病とは

「熱帯」とは北回帰線と南回帰線(それぞれ緯度約23度)に挟まれた地帯と定義されています.東南アジア諸国,オーストラリア北部,インドの南半分,アフリカ大陸の大部分(いわゆるサブサハラ地域,サハラ砂漠以南地域),中米,南米大陸の北半分が含まれます.年中高温多湿で,動植物の生態系が特に豊かな土地です.一方で熱帯には発展途上国や貧困国が集中し,人的および物的に保健医療資源が十分でない地域が多数含まれます.
この熱帯に固有の疾患,および世界的に分布する疾患のうち特に熱帯に集中したり保健医療資源の乏しさから熱帯に重大な影響がある疾患を,「熱帯病」と呼びます.熱帯病の大半は感染症ですが,環境因,栄養源や遺伝的集積に起因する疾患もあります.

顧みられない熱帯病

数ある熱帯病のうち,下記の疾患が「顧みられない熱帯病 Neglected tropical diseases, NTDs」として世界保健機関WHOによってリストアップされています.公式には20項目とされていますが,歴史的経緯および各項目が医学的にさらに細分化されるなどの理由で実際には20以上の疾患が含まれます.
・エキノコックス症
・オンコセルカ症(河川盲目症)
・疥癬およびその他の外部寄生虫
・狂犬病
・シャーガス病(アメリカトリパノソーマ症)
・住血吸虫症
・条虫症・嚢虫症
・食物媒介性吸虫症
・象皮症(非フィラリア性リンパ浮腫)
・デング熱およびチクングニア熱
・土壌伝播寄生虫症
・トラコーマ
・ハンセン病
・ヒトアフリカトリパノソーマ症(アフリカ睡眠病)
・フランベジア(イチゴ腫)およびその他の風土性トレポネーマ感染症
・ブルーリ潰瘍
・蛇咬傷
・マイセトーマ(菌腫),黒色分芽菌症およびその他の深在性真菌症
・メジナ虫症(ギニア虫症)
・リーシュマニア症
・リンパ系フィラリア症
・ノーマ(水がん;2023年12月新たに追加)

なぜこのリストが必要なのか

上記の熱帯病は,発症時の症状の重篤さや致死率の高さに加え,後遺障害が残存し生活に大きな支障を生じる点でも深刻です.一方で,適切な治療や貧困の改善などの介入により制御または根絶が可能な疾患でもあり,人的および物的資源の十分な提供が必要不可欠です.これら熱帯病の制御は,個人の改善のみならず蔓延国の経済的発展にも寄与する世界的課題と言えます.
原語に含まれるneglectは虐待の一形態として知られるネグレクトと同語で,果たすべき責任の放棄や怠慢を意味します.原語のneglectedは日本語で「顧みられない」と訳されています.Neglected tropical diseasesという用語には,制御または根絶という世界が果たすべき責任が十分に果たされていない熱帯病について,認識を深め,人的および物的資源を集約し,世界が連携して取り組むべきという意思が込められていると言っていいでしょう

代表的疾患

シャーガス病(アメリカトリパノソーマ症)

シャーガス病(アメリカトリパノソーマ症)は中南米に蔓延する原虫性疾患で,サシガメと呼ばれる昆虫が媒介する原虫クルーズ・トリパノソーマ(Trypanosoma cruzi)の感染により生じます.感染初期は比較的軽微な症状または無症候感染が大半ですが,多くの患者で生涯にわたる慢性感染(単球内に持続感染)に移行します.数10年の経過で心筋症,巨大結腸症などに移行し,心筋症では重症不整脈による突然死および慢性心不全による心臓死に至ります.また経胎盤感染により容易に母体から胎児に感染し,無症状のまま出生して慢性経過に至るなど,世代を超えた感染が深刻な問題でもあります.治療薬は基本的に急性期にしか効果がなく,慢性感染を駆除できる有効な治療薬の開発が待たれています.
歴史的経緯から中南米には日系移民が多く,その関連で中南米から日本への移民も年々増加しています.慢性期のシャーガス病を有する移民も日本に一定数いますが,シャーガス病に関連した検査法も治療薬も全く保険適用されていないため,日本での診断・治療は殆ど不可能な状態です(一部大学病院等での研究等の名目でのみ実施可能).今後も中南米移民の増加が見込まれるため,早期の改善が望まれます.

住血吸虫症

住血吸虫症は寄生虫性疾患です.感染した住血吸虫が肝臓の門脈を閉塞し,肝不全から栄養障害による発育不良を生じ,最終的に非代償性肝硬変で死に至ります.住血吸虫症はかつて日本にも蔓延地域が複数あった風土病でした.各地で保健行政・医療・住民が一体となった対策が展開された結果,1980年代を最後に新規の患者は報告されて排除を達成しました.有効な治療薬が確立されており,住民教育および住血吸虫が好んで生息する水域を改良する等の公衆衛生策により根絶が可能な疾患です.しかし人的および物的資源の不足から,東南アジア,アフリカ,南米の熱帯地域には未だに蔓延地域が残されています.

デング熱およびチクングニア熱

デング熱およびチクングニア熱は蚊の媒介によって伝播するウイルス性疾患です.日本にも毎年散発的な輸入例があり,日本に棲む蚊が媒介して局所的な国内伝播が生じることもあります.ウイルスは成虫の蚊によってのみ媒介され,媒介蚊は日本の気候では成虫で越冬できないため,理論的には日本国内で常時蔓延することはありません.しかし熱帯地域の気候では成虫の蚊が常時発生しており,年中切れ目なく伝播が生じます.どちらも急性熱性疾患であり,致死率は全体の0.1%未満とさほど高くはありませんが,患者数が非常に多いため総計で毎年5,000人以上の死亡が報告されています.媒介蚊のコントロールおよびワクチン開発の努力が続いており,2023年にようやく期待の持てるワクチンが両疾患とも開発されましたが,世界全体での患者数の減少にはまだ時間がかかる状況です.

日本のプライマリ・ケアとの接点

顧みられない熱帯病は,日本に直接大きな影響を及ぼす疾患群ではありません.しかしシャーガス病やデング熱・チクングニア熱のように散発的ながらも輸入例があり,プライマリ・ケアとして診療対応が求められる可能性があります.また上述のとおり,症状に苦しみ後遺障害で生活が阻害される人々がまだ多数いる点で世界全体で取り組むべき課題であり,対岸の火事として無視できる問題ではありません.顧みられない熱帯病について是非積極的に学んでいただき,neglectしないよう,ご自身にできることを探してください.

参考サイト・文献

World Health Organization. (2023). Global report on neglected tropical diseases 2023.


Molyneux, D. H., Asamoa-Bah, A., Fenwick, A., Savioli, L., & Hotez, P. (2021). The history of the neglected tropical disease movement. In Transactions of the Royal Society of Tropical Medicine and Hygiene (Vol. 115, Issue 2). Oxford University Press. https://doi.org/10.1093/trstmh/trab015


Daumerie, Denis., Savioli, Lorenzo., Crompton, D. W. T. (David W. T., & World Health Organization. Department of Control of Neglected Tropical Diseases. (2010). Working to overcome the global impact of neglected tropical diseases : first WHO report on neglected tropical diseases. World Health Organization.

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